忘れられない島の看護忘れられない島の看護

上五島病院で働くナースに聞きました!

上五島病のステキなところ
4階病棟

70歳代、男性の患者さんは、妻・息子さん夫婦.3人のお孫さんと7人暮らしで家族の中心的な存在でした。成人T細胞性白血病リンパ腫と診断され、化学療法を施行し、旅立たれる数日前までの3年間、いつも気丈に振る舞い、常に家族の心配をされていた姿が心に残っています。
私の勤務する病棟は、慢性期・終末期の患者さんが多く入院してこられます。笑顔を忘れず温かい心で寄り添い、患者さんが「ほっ!」と安心できるような看護を行って行きたいと思います。

外来

胆管がんターミナルで、長期入院を強いられていた患者さんが、お子さんのいる長崎市内へ転院することになりました。転院前に、家に帰りたいという患者さんの思いを受け、医師・看護師同伴のもと、自宅へ戻られました。車いすに座り、一面に広がる海をじっと眺めている姿に、これまで五島で生きてきた患者さんの人生とは何か、また、それを支えてきた家族はどんな思いでいるのか・・・島の看護とはなんだろうと、とても考えさせられる経験でした。

訪問看護

90歳代の利用者さんは救命のために手術が必要でしたが、高齢な上にさまざまな合併症のため、手術を断念し、症状緩和を図りながら在宅看取りの方針で退院となりました。利用者さんは、元気な時は自宅傍にある運動公園で子供たちの野球を見るのが大好きでいつも出掛けていました。退院後はベッドから離れることができませんでしたが、窓を開けると子供らの声が聞こえる中で、ご家族の献身的な介護を受け、とても穏やかな時間を過していました。そんな中、利用者さんは昔、産婆さんでたくさんの赤ちゃんを取り上げており、その中の1人が私だということを知りました。利用者さんは私の迎え人であり、そして私は送り人として、最期の時間を共有させていただくことができ、島で看護を続けて来たことを嬉しく思うと共に感謝の気持ちでいっぱいでした。利用者さんはお孫さんやひ孫さんらにも会い、家族に見守られる中、静かに旅立たれました。

5階病棟

脳梗塞の患者さんが入院されました。梗塞の範囲が広く、このまま寝たきりになるだろうと感じていました。ある日、嚥下訓練をしているときに、「いもが・・・」とわずかに聞き取れるような声で言われました。そばにいる奥さんに聞くと、「芋ほりの時期だったから、気になっているんでしょう。」と話されました。他のスタッフと話し合い、枕元に掘った芋を1つ置いてもらいました。すると、涙をこぼし笑いながら「ありがとう」と言われました。それから意欲的にリハビリも進み、経口摂取に移行できました。現在も元気に、奥さんと寄り添いながら生活されています。

3階病棟(助産師)

分娩介助を担当させて頂いた方に子供の中学校の入学式で声を掛けられました。その時のお子さんがなんと娘と同じクラスでした。大きく成長したお子さんさんを見た時、自分の関わった小さな命が確かに社会の中で育っているのだと実感し、とても幸せな気持ちになりました。
お母さんと赤ちゃんの二人の命を預かる仕事、責任の重さをいつも感じ、大変な仕事だと痛感しております。子供が何歳になっても母親は子供が産まれた時の事を覚えています。その人生の忘れられない瞬間に立ち会い、その成長を見守ることができることに大きな喜びとやりがいを感じます。これからもお母さんと赤ちゃんに元気をもらいながら頑張って行こうと思います。

3階病棟

現在産科混合病棟で勤務しています。
13年位前にも同じ病棟で勤務していました。その際早産で分娩となり、新生児は低出生体重児で長い期間保育器に収容されるという症例がありました。
母親は初めての出産で、なおかつとても小さい赤ちゃんを産んでしまったことに対し、不安とショックで保育器の中にいる我が子を見ながら泣いていました。私自身も同じ経験をしたことがあり、「うちの子供もすごく小さく生まれたけど、今では元気に育っていますよ」などとしばらく2人で話をしました。
それから時は経ち、最近になって病院で偶然その母親に声をかけられ、「あの時はお世話になりました。看護師さんのあの時の言葉に励まされて、とても嬉しかったし勇気付けられました」と涙を流しながらお礼の言葉を頂きました。
何年経っても覚えていてもらえたことに対し、私の方が励まされた瞬間でした。これからも地域と密着している分、つながりを大切にしていきたいと思います。